祖母とのお別れ
こんにちは。紫音です。
つい先日祖母が息を引き取りました。
コロナ対策の関係で病院に入れず、最期を看取ることはできませんでしたが、苦しむことも痛がることもなく、すっと眠るような最期だったそうです。
祖母には正直あまり可愛がってもらった記憶もないんですが、かといって邪険にされた訳でもなく。距離感がわからないんだろうなぁ…という感じでした。
ここ最近は連絡もあまりしていませんでしたし、物理的にも距離があるのでなかなか会いにも行っておらず。
介護が始まった時も、私以外で何とかするけどどうしても都合が付かない時だけヘルプに入って、という話になっていました。
1月末にヘルプに入って!と言われて祖母宅に行ったのが、生きているうちに会った最後になりました。
久しぶりに会ったからかいっぱいお喋りしたし、手足のマッサージもしてあげられたので、良かったかなぁと思っています。
納骨は3月末です。
仲の悪かった祖父と同じお墓に入るので、「あの世で20年ぶりに再会して、大喧嘩するやろな」と母と妹と笑っています。
ちょっと神戸まで。
こんにちは。紫音です。
電車に乗りたくない!と頑なだった母が、どういう訳か最近電車に乗りはじめ、しかも楽しいと言っていたので、じゃあちょっと遠出しようぜ!ということで
神戸三ノ宮、元町をぶらぶらしてきました。
話を聞いてみると、神戸には40年ぶりとのこと。(家から電車で片道2時間圏内なのに!!!)
どこに行くでもなく、ぶらぶら街並みを見てるだけでいいと言うので、中華街で食べ歩きをすることに。
曇り空で風もちょっと強かったけど、沢山の人で賑わってました。
お昼は角煮まんと揚げたてコロッケを食べました♪
もうちょっと食べるかと思ったけど、60歳を過ぎた母にはこれくらいの量で良かったみたいです。
(小籠包も胡麻団子も肉まんも食べたかったよ…(つД`)ノ)
中華街の中にレトロな喫茶店を発見!
珈琲が飲みたいというので入ってみました。
美味しいコーヒーを飲みながら、散々愚痴を聞かされましたε-(´∀`; )
暗くなる前に帰りたいとのことだったので、早めに三ノ宮駅から電車に乗り、新大阪駅の駅ナカにちょっと寄り道してたこ焼きを食べてから、ご機嫌で帰っていきました。
次はどこ行く??とか言ってたので、いろいろ連れ回されることになりそうです。
まぁ、交通費以外奢ってくれるからいいけど。
祖母と介護と母
こんにちは。紫音です。
昨年、祖母の胃がんが見つかりました。
ただ、90歳を過ぎているのでがんの進行が遅いことと、体力の問題で手術はしないことになりました。
暫く入院していましたが、1月半ばに一時退院。
自宅療養になりました。
が、食事量が少ないことで衰弱のスピードは早く、車椅子での移動のため、誰かが一日中付きっきりに。
祖母宅の近所に住んでいる叔母と、車で1時間圏内に住む母と妹が交代で介護をしてくれていて、少し遠くに住んでいる私は偶に顔を出すという感じです。
ただまぁ、
祖母と母、叔母と母は仲が悪いので、母のストレスが半端ないようで。
爆発する前に発散させないとε-(´∀`; )
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございます。
2023年もマイペースに更新していきますので
引き続きよろしくお願いいたします。
ヒモのおわりは突然にー紫音sideー
こんにちは。紫音です。
同居人との出会いから今に至るまでの連載最終回。
同居人側の連載①↓↓↓↓↓
同居人側の連載②↓↓↓↓↓
同居人側の連載③↓↓↓↓↓
同居人側の連載④最終回↓↓↓↓↓
紫音sideの連載①↓↓↓↓↓
紫音sideの連載②↓↓↓↓↓
紫音sideの連載③↓↓↓↓↓
単発のバイトに行けるようになったとはいえ、金銭的な生活基盤はまだボロボロ。
今一人にさせるとまた元の生活に戻ってしまいそうな気もして。
しかも、ほとんどを私の家にいる現状。
高い家賃ももったいないからいっそ引っ越して来たら?と何度も話をしました。
(当時の紫音宅は1LDKだったけど2人入居が可能でした)
その時は、うーん…と曖昧な返事をしているだけで話が先に進むことはありませんでした。
そこから暫くは生活も安定していましたが、ふと訪れた仕事ムリ!!モード。
やっと安定してきてひとつづつ問題を解決できると思っていた矢先でした。
結局、お父様がまとまった額を工面してくださったおかげで、
支払わなければならない税金や保険料なども納付することができたし、
明日の生活費を心配する必要も一旦無くなりました。
その頃からです。
部屋探さない?と言い始めたのは。
心配事が減ったことで考える余裕ができてきて、心境の変化があったようです。
部屋を探す条件として次の3つがありました。
・当時の紫音宅と同じ生活圏
・お互いの個室がある(2DK以上)
・一人暮らしの時より家賃負担は軽減されるように
2人で近所を散歩しながら空き物件を探したり、ネットや不動産会社でも探しました。
そうしたら、当時の紫音宅から徒歩約5分のところにいい物件を見つけることができました。
そして、今の同居生活に突入です。
当時を振り返ると、
本人はヒモと言ってますが、お小遣いあげてたわけでもないし食費と光熱費が少し増えるなぁ…くらいでした。
ボロッボロでやつれた姿を見ているので、ひとりにしておくのが怖かったのもあります。
同居してから太った太ったと嘆いていますが、嘆いているくらいが安心です。
同居生活ではお互いの収入に見合った額を出し合って、その中でやりくりしています。
その管理は全部私なんですけどね?...( = =)
ヒモの素質ー紫音sideー
こんにちは。紫音です。
同居人との出会いから今に至るまでの連載。
シリーズ①はコチラ↓↓↓↓↓
シリーズ②はコチラ↓↓↓↓↓
今回のお話はコチラ↓↓↓↓↓
当時の同居人の生活は食事も碌にできていなかったようだし、
一人で生活しながら仕事ができる状況でもなかったので、
『うちに来て生活を立て直してはどうか』とお誘いしました。
ただ、他人の家で眠れないとも聞いていたので、お試しでお泊りしたら?と提案。
眠れないとは?と聞きたくなるくらい爆睡してました。笑
懸念事項は秒で解決。
しばらくは数日泊まって帰宅、を繰り返していたんですが、
泊まりに来る度に増える私物。
泊まる日数もどんどん長くなってきました。
体調が少しずつ落ち着いてきたころには、家事も率先してやってくれるように。
めっちゃ私が助かってました。
単発のバイトも行けるようにもなったので、これでひと安心です。
リアルでの再会ー紫音sideー
こんにちは。紫音です。
同居人との出会いから今に至るまでの連載。
前回のお話はコチラ↓↓↓↓↓
shion-moonlightgarden.hateblo.jp
今回の同居人sideはコチラ↓↓↓↓↓
リアルでの再会は、私の引っ越しでした。
救援物資のお礼にと、荷解きを手伝いに来てくれました。
高所恐怖症の私の代わりに、照明器具を取り付けてもらいました。笑
その後、大鬱期に突入した同居人。
毎日のツイキャスも時間が短くなったり、配信されなかったり。
大丈夫かなぁ…とフォロワー内でも心配になっていたことを覚えています。
TwitterDMで(だったかな?)生存確認をしたら、
・碌にごはんも食べてない
・救援物資はあるけど調理ができない
・物が溢れててどこから手を付けていいのかわからない
・片付けられない
・郵便物いっぱいだけどどうしたらいいかわからない
とのことだったので、何度かごはんを作ってお家に突撃。
ついでにキッチンで洗い物をし、郵便物を分別し、届いた物資の分類分別をしました。
少し鬱から持ち直した頃には、
手続き関係ができないから助けてとSOSがあったので、
一緒に市役所に行って説明を聞いたりなんかもしました。
金銭的にもギリギリだったので、生活保護も含めて話を聞いたりしましたが
話を聞いたことで労働意欲が湧いたようで結局申請せずに済みました。
今回はこのへんで。