むらさきのおと

紫音が気侭に書くブログ

双極性障害と診断されるまで。

 

私が双極性障害と診断されたのは25歳の頃です。

その頃までを少し振り返ってみたいと思います。

 

 

○幼少期、小学生期

私が3歳、幼稚園入園前頃に両親は離婚をし、

私と1歳違いの妹は母方に引き取られ育ててもらいました。

父がいないことも、母が仕事をしてほぼ一日家にいないことも、

家事を子供がすることも何もかも、当り前だと思って生活していました。

今思えば、大人びたというより、子供っぽさの無い子供だったと思います。

そのおかげ(?)で小学生時代、その後の中学生時代も

小さないじめを受けることになります。

 

○中学、高校生期

母は、『「母子家庭だから碌な教育を受けさせていない」と言われたくない』と

常々私たち姉妹に言っていました。

そのおかげで私立の学校に通わせてもらうことができ、きちんと学校教育を受け、

今も続く友人関係を築くことが出来ているので、とても感謝しています。

しかし母子家庭という環境、そこでの人格形成は、中学生という未熟な集団の中では浮きやすく、

いじめの標的にされるまでそう時間はかかりませんでした。

高校生になってからは、広く浅い交友関係よりも狭く深い関係を築きはじめ、

いじめられていると感じることは殆どありませんでした。

高校生の頃には、母方の祖父が経営する小さな会社で働くようになり、

ますます子供らしさ、学生らしさは失われていたように思います。

 

〇短大、専門学校期

 母方の祖父の会社で働くために必要なものを勉強するように、と言われ、

短大では栄養学、専門学校では会計学を勉強していましたし、

短大では学生会と献血ボランティア、専門学校では吹奏楽部に所属していました。

また、祖父の会社では正式にアルバイトとして仕事をしながら、

居酒屋、イベントスタッフ等いくつものバイトを掛け持ちしていました。

友人達と遊びに行き、終電帰宅や友人宅に外泊、オールで遊ぶなんてことも度々で、

何時寝ていたの??と当時の自分に聞いてみたいくらいです。

 

〇社会人期

一旦外の会社も経験してこいと言われ、新卒で就職活動をしました。

就職先は東京の某IT企業。初めて一人暮らしでした。

仕事は楽しい。休日は好きなアイドルのコンサートや舞台三昧。

新しい友人もたくさん出来て楽しい生活をしているつもりでしたが、

突如、不眠と猛烈な倦怠感に襲われました。

地元の友人2名に、体調不良のことや愚痴などを電話で話しているうちに、

それぞれから同時期に「精神科か心療内科に絶対行って!!」と

言われるようになりました。

自分では病気ではない、ただ疲れが溜まっているだけ!と主張していましたが、

自分で行かないなら引き摺ってでも行かせると脅されれば行くしかありませんでした。

 

〇その後、通院と転院

 最初に診察を受けたのは、会社の近くの心療内科でした。

その時は「心身症」と診断。一定の休養が必要だとして、時短勤務になりました。

(休職は絶対嫌だと言い張りました(汗))

しかし、上司は「心身症」という診断に納得しておらず、

産業医との面談と、別の病院への受診を再三勧められました。

その後、別の精神科を受診。

一度は「身体表現性障害」と診断されましたが、

カウンセラーとの話のなかで、短大時代や専門学校時代の話をしたことで、

双極性障害Ⅱ型」と診断名が変わりました。

この頃にはパニック障害の症状もあり、

電車やバスでは頻繁に発作を起こしていました。

 

 

 

 

双極性障害Ⅱ型と診断された後の事はまた別で書きたいと思います。

長々とお付き合いありがとうございました。